「最近、税理士が訴えられるケースが増えているらしい」そんな噂を耳にして、夜も眠れない日々を過ごしていませんか?
明日は我が身かもしれないトラブルの火種は、意外と身近なところに潜んでいるものです。
たった1枚の書類で賠償命令?

給与報告書の提出ミスという落とし穴
みなさん、毎年1月末の「給与支払報告書」の提出業務、どのように管理されていますか。
年末調整の繁忙期と重なり、事務所内が戦場のような騒ぎになるこの時期、つい「後でまとめてやろう」と後回しにしてしまうことはないでしょうか。
実は2025年7月、東京地裁である衝撃的な判決が下されました。
ある税理士が、顧問先企業の従業員に関する給与支払報告書の提出を怠ったのです。
本来の期限は1月31日でしたが、顧問先から「住民税の通知が来ない」と指摘されたのはなんと6月。
結果として、その従業員の住民税は特別徴収(給料天引き)ができず、普通徴収(自分で納付)への切り替えを余儀なくされました。
この「提出遅れ」が債務不履行と認定され、税理士に損害賠償命令が下されたのです。
賠償額自体は約4万円と少額ですが、ここでの問題はお金ではありません。
「先生に任せておけば安心」という顧問先からの信頼が、たった一度の事務ミスで音を立てて崩れ去ったという事実です。
特に最近は、eLTAX(エルタックス)やfreee、マネーフォワードクラウドなどの便利なツールが増え、クリック一つで送信できる時代になりました。
しかし、便利になったからこそ「送信ボタンを押したつもり」というヒューマンエラーが怖ろしいのです。
送信完了メールの確認を怠る、送信エラーのログを見落とす、といった初歩的なミスが、法廷で裁かれる事態に発展します。
事務ミスを防ぐ「仕組み」の作り方
「うちはベテラン職員がいるから大丈夫」と高を括っていませんか。
人間である以上、ミスは必ず起こります。
だからこそ、人に依存しないチェック体制が必要です。
例えば、TKCやJDLなどの基幹システムでの送信確認はもちろんですが、ChatworkやSlackなどのコミュニケーションツールを活用して、送信完了のスクリーンショットを必ず「証跡」として残すルールにするのはいかがでしょうか。
- 送信担当者と確認担当者を必ず分ける「ダブルチェック体制」
- 申告期限の3日前に全件の送信状況をリスト化して確認する「デッドライン設定」
- 送信完了画面をキャプチャし、顧客ごとのフォルダに保存する「証拠保全」
これらの対策は、面倒に感じるかもしれません。
しかし、裁判沙汰になってから弁護士に相談する手間に比べれば、日々の数分間の確認作業など安いものです。
不安を取り除く唯一の方法は、精神論ではなく、物理的な「仕組み」でリスクを封じ込めることなのです。
顧問契約解除時の泥沼トラブル

「喧嘩別れ」でもデータは返すべき
顧問先との関係が悪化して契約解除になること、長い税理士人生であれば一度や二度は経験があるでしょう。
「報酬も払ってくれないのに、なんでこっちが丁寧に引継ぎしなきゃいけないんだ」
そう腹を立てたくなる気持ち、痛いほどよく分かります。
しかし、感情に任せて「資料を返さない」という実力行使に出るのは、法的に見て最悪の手です。
2024年2月、東京地裁で注目すべき判決が出ました。
契約解除後に、預かっていた会計帳簿や総勘定元帳などのデータを返還しなかった税理士に対し、30万円の損害賠償が命じられたのです。
裁判所の判断は極めてシンプルで、「税理士が作成したデータであっても、それは依頼者の事業遂行に不可欠なものであり、依頼者の所有または利用権がある」というものでした。
つまり、未払い報酬があるからといって、顧客のデータを人質に取るような行為は許されないということです。
後任の税理士が困るだけでなく、クライアントが過去の数字を把握できなくなり、経営判断や融資申請に支障をきたしてしまいます。
その損害を補償するのは、データを抱え込んだあなた自身になってしまうのです。
| トラブルの種類 | 税理士側の主張(NG) | 裁判所の判断(OK) |
|---|---|---|
| データの返還拒否 | 報酬未払いがあるから渡さない | 報酬問題と返還義務は別問題 |
| 連絡の遮断 | もう関わりたくない | 受任者としての報告義務は継続する |
| 引継ぎの放置 | 後任が勝手にやればいい | 信義則上の協力義務がある |
スマートな引継ぎこそプロの流儀
では、どうすればよかったのでしょうか。
答えは、「立つ鳥跡を濁さず」の精神で、淡々と事務的にデータを引き渡すことです。
弥生会計やマネーフォワードなどの会計データは、エクスポートしてGoogle DriveやDropboxなどのクラウドストレージ経由で渡せば、顔を合わせる必要もありません。
「もう二度と会いたくない」と思う相手だからこそ、一秒でも早く関係を断つために、迅速にデータを渡してしまうのが正解です。
感情的なしこりを残したままデータを抱え込むことは、将来の訴訟リスクという時限爆弾を抱え込むのと同じことです。
たとえ相手に理不尽な言い分があったとしても、こちらは法律の専門家として、涼しい顔で義務を果たしましょう。
それが、あなたの事務所の品格を守ることにもつながります。
急増する懲戒処分の実態とは

「知らなかった」では済まされない
ここ数年、税理士に対する懲戒処分が急増していることをご存知でしょうか。
2024年から2025年にかけて、財務省から発表される懲戒処分の件数は、以前とは比較にならないペースで増えています。
特に目立つのが、「自己脱税」や「名義貸し」といった古典的な違反に加え、「使用人の不正を見抜けなかった」という監督責任を問われるケースです。
ある税理士法人の事例では、使用人が顧問先の代表者と結託して源泉所得税を不正に圧縮していたにもかかわらず、代表税理士がそれに気づかず、結果として税理士法人自体が処分を受けました。
「私は関与していない」「スタッフが勝手にやった」という言い訳は、もはや通用しません。
税理士法において、補助者の行為は税理士自身の責任とみなされるからです。
- 関与先と別人格の法人の赤字を付け替える「所得圧縮」
- 完了していない工事を未成工事支出金として処理する「粉飾決算」
- 無資格の職員に申告書の作成を丸投げする「名義貸し」
これらはすべて、実際に懲戒処分の対象となった事例です。
特に、顧問先から「先生、なんとか税金を安くできない?」と泣きつかれたときが一番の危険ゾーンです。
経営者の期待に応えたいという正義感やサービス精神が、一歩間違えれば「不正への加担」とみなされてしまうのです。
内部管理体制が処分の分かれ道
リスクを回避するためには、事務所内の「監査体制」を見直すしかありません。
ひとりの担当者に特定の顧問先を長く任せっきりにしていませんか。
これはいわゆる「属人化」のリスクであり、不正の温床になりがちです。
定期的に担当者をローテーションする、あるいは、決算の際だけは別の税理士がクロスチェックを行うといった仕組みが必要です。
また、MyKomonなどのグループウェアを使って業務日報を共有し、不自然な処理や顧客とのやり取りがないか、所長自身が目を光らせることも重要です。
職員を疑うようで心苦しいかもしれませんが、職員を守るためにも、不正ができない環境を作ることが所長の責務なのです。
顧問先との癒着を防ぎ、適正な申告を行うことは、結局のところ顧問先自身を税務調査のリスクから守ることにもつながります。
毅然とした態度で「それはできません」と言える関係性こそが、真の信頼関係ではないでしょうか。
職員の独立と顧客の引き抜き

「退職の挨拶」は勧誘になるのか
事務所を支えてくれた優秀な職員が独立開業する。
喜ばしいことである反面、所長としては「顧客を持って行かれるのではないか」という不安が頭をよぎる瞬間です。
実際、2023年には退職した元社員が顧問先を奪ったとして訴訟になったケースがあります。
しかし、この裁判の結果は、事務所側(原告)の敗訴でした。
元社員は、退職にあたって担当していた顧問先に「退職の挨拶」に行きました。
事務所側はこれを「勧誘行為だ」として誓約書違反を主張しましたが、裁判所は「お世話になった顧客への挨拶は社会通念上の礼儀であり、勧誘には当たらない」と判断したのです。
また、顧問先の数社が「前の事務所の対応に不満があったから、新しい税理士についていっただけ」と証言したことも決定打となりました。
これは非常にシビアな現実を突きつけています。
顧客が事務所についていたのではなく、担当者という「個人」についていたという事実です。
法的拘束力よりも選ばれる魅力を
入社時に「退職後2年間は近隣での開業を禁止する」といった誓約書を書かせている事務所も多いでしょう。
しかし、職業選択の自由がある以上、あまりに過度な制限は法的に無効とされる可能性が高いです。
訴訟で引き止めようとしても、顧客の心は戻ってきません。
むしろ、「あの事務所は辞めた職員を訴えるようなところだ」という悪評が広まるリスクの方が大きいでしょう。
リスク回避の本質は、法的な縛りを作ることではなく、職員や顧客が「離れたくない」と思う事務所作りにあるのです。
例えば、所長自身が定期的に顧問先を訪問して顔を繋いでおく、担当者任せにせずチームで対応する体制を作るといった対策が有効です。
また、独立する職員に対しては、敵対するのではなく「業務提携」を持ちかけるというウルトラCもあります。
「うちは手が回らないから、この案件は君にお願いするよ」と仕事を回せる関係になれば、訴訟リスクどころか、強力なパートナーを得ることになります。
時代は「囲い込み」から「共存」へとシフトしています。
訴訟事例を学ぶことは、単に恐怖を感じるためではありません。
先人たちの失敗から学び、自分の事務所の「守り」を固めるための最高の教材なのです。
顧問契約書の見直し、チェック体制の強化、そして何より顧客や職員とのコミュニケーション。
今日からできることは山ほどあります。
まずは、あの出し忘れていたメールの返信から始めてみませんか。
よくある質問と回答
Answer 訴訟に発展するかどうかは、実際に顧問先が損害を被ったかどうかで判断されます。例えば、1月末の期限から数日遅れても、従業員の住民税が普通徴収に切り替わらなければ、実質的な損害がないと認定される可能性があります。しかし、6月まで放置していたケースのように、明らかに社会通念に照らして不適切な遅延があり、顧問先が特別徴収の切替手数料や再手続の費用を負担する羽目になれば、その費用相当額の賠償請求を受けることになります。つまり、「ちょっと遅れたくらい大丈夫」という甘えが最も危険なのです。期限に遅れないことはもちろん、万が一遅れた場合は即座に顧問先に報告し、対処方法について相談するという誠意ある対応が、訴訟化を防ぐ最大のポイントになります。
Answer 法的には明らかに問題です。契約が終了した後であっても、税理士が作成・保管していた会計帳簿、総勘定元帳、決算報告書などのデータは、依頼者の財産またはそれに類する情報として扱われます。報酬未払いや契約トラブルがあったとしても、データを人質にするような行為は「債権回収の不正な方法」として、逆に損害賠償請求される側になってしまいます。実務的には、弥生会計やfreee、マネーフォワードなどのデータであれば、エクスポート機能を使ってCSVやPDFで抽出し、Dropboxなどのクラウドストレージ経由で引き渡すことで、物理的な負担もなく対応できます。面倒だからと後回しにするのではなく、契約終了時に迅速にデータを移行するプロセスを事務所のルール化しておくことが重要です。
Answer はい、処分される可能性が高いです。税理士法では、補助者や使用人の行為は雇用者である税理士の責任に帰属するという「使用者責任」の原則があります。つまり、「スタッフが勝手にやった」という言い訳は通用しません。例えば、使用人が顧問先の代表者と結託して源泉所得税を不正に圧縮していた場合、その不正に気づかなかった税理士自身が、その不正を見抜く義務を怠ったとして処分対象になってしまいます。これを防ぐためには、定期的な監査体制の構築が不可欠です。具体的には、別の税理士による決算チェック、業務日報のグループウェアでの共有、顧問先との重要な書類のやり取りをCCメールで把握するなど、物理的に「不正ができない環境」を作ることが所長の責務になります。
Answer 退職時に「退職後○年間は同業他社への就職を禁止」「顧客への勧誘を禁止」という誓約書を書かせている事務所は多いですが、法的拘束力は限定的です。実際の裁判では、退職者が「顧客への挨拶に行った」というだけでは「勧誘行為」とは認定されず、また職業選択の自由を過度に制限する誓約は無効とされることもあります。重要なのは、顧客が「その職員についていった」という現実です。つまり、信頼関係は事務所全体にはなく、担当者という個人に紐づいていたということになります。訴訟で引き止めることは難しいので、むしろ預防的には、所長自身が定期的に顧問先を訪問して顔を繋いでおく、複数名の体制で対応するなど、「個人依存を避ける組織作り」が重要です。
Answer 懲戒処分には「戒告」「1年以内の業務停止」「2年以上の業務停止」「禁止処分(税理士資格の剥奪に相当)」などの段階があります。最も重い禁止処分を受けると、その後は税理士業務を一切行うことができず、事実上の廃業を余儀なくされます。業務停止であれば、その期間は申告書作成、税務相談などの税理士業務が禁止され、事務所の営業が大幅に制限されます。さらに懲戒処分を受けた事実は財務省から公告されるため、顧問先や金融機関からの信頼喪失につながります。ある事務所の場合、懲戒処分後に10社以上の顧問先が離れてしまったという報告もあります。つまり、懲戒処分とは単なる行政処分ではなく、事務所の存続を脅かす経営危機になり得るということです。この現実を直視して、不正を許さない事務所文化を今から醸成することが最善の対策です。
