相続税申告の期限超過とその後の税務調査でのトラブルについて、最新の東京地裁判決(2025年7月・7月31日)に基づいた実例を紹介します。

相続税申告期限を超過した時の落とし穴

Kling ベーシックプラン

相続が発生してから10ヶ月以内に申告する必要がある相続税。
この期限を守ることは、単なる事務的な義務ではなく、その後の経営や資産形成に大きな影響を与えます。

実は2025年7月、相続税申告の期限超過をめぐって、税理士法人が顧客から訴えられた重要な判例が出ました。
その事件から学べることは、想像以上に多いのです。

「依頼したけど間に合わなかった」事件の真実

ある相続人がいました。
亡母の相続税申告を税理士法人に依頼するつもりで、2022年11月に相談を持ちかけます。

ところが、税理士法人側は「今から申告を受けても、法定期限(翌年3月10日)に間に合わせるのは困難だ」と説明。
にもかかわらず、相続人は「それでもいいから」と税理士法人に依頼することにしたのです。

案の定、期限は過ぎ、別の税理士に改めて申告してもらう羽目になりました。
相続人は「期限を守る義務があるのに怠った。無申告加算税も延滞税も払わせられた」と怒り、2300万円以上の損害賠償を請求します。

一見すると、「税理士が期限を守れなかった=税理士の責任」に見えます。
しかし、裁判所の判断は異なりました。

法廷では「期限に間に合わない可能性を前提に契約が成立していた」と認定され、相続人の請求は棄却されたのです。

「事前に説明したか」が勝負の分かれ目

なぜ税理士法人が勝ったのか。
それは「期限に間に合わないことを事前にしっかり説明していたから」です。

税理士法人は以下のように対応していました。

最初の相談の時点で「今時点から申告を始めても期限に間に合わない可能性がある」と口頭で伝えた。
その後の面談でも改めて「法定申告期限に間に合わせるのは困難だが最善を尽くす」と説明。
さらに申告期限を超過した場合のペナルティ(加算税や延滞税)について説明。
相続人はこれらすべてを理解した上で依頼した。

裁判所はこのプロセスを重視しました。
「依頼時点で既に期限までの時間がない」「それでも最善を尽くす」という双方の合意があれば、期限を守れなかったことが自動的に税理士の責任にはならない、ということです。

場面 税理士法人の対応 裁判での評価
初期相談 「期限に間に合わない可能性がある」と明言 高く評価された
面談時 「困難だが最善を尽くす」と再説明 重要な証拠
ペナルティ説明 加算税・延滞税について事前通知 説明義務を果たしたと認定

対照的に、「言った言わない」で揉めるような対応では、こうした有利な判断は得られません。
相続税の申告は、会計・税務ソフト(MFクラウド、弥生会計など)を使えば比較的簡単に見えるかもしれません。
しかし、実際には遺産分割の内容確認、不動産評価、特例の適用可否判断など、数ヶ月の検討が必要になることがほとんどです。

「依頼は受けたけど、期限に間に合わなかった」という状況に陥りやすい分野だからこそ、事前の説明が命です。

税務調査で青色申告が取消しになった時の責任問題

Kling ベーシックプラン

もう一つ、同じ2025年7月の判例で注目される事件があります。
こちらは「税務調査中の税理士の対応が不十分だった」という名目で訴えられたケースです。

帳簿を見せなかったら青色申告が取消しに

ある中小企業の代表者がいました。
税務署から突然、事前通知のない税務調査が入ります。
慌てて顧問の税理士に相談すると、税理士は「この調査は違法な無予告調査かもしれない。協力する必要はないかもしれない」とアドバイス。

代表者と税理士の二人は、帳簿書類を提示するのを拒否する作戦に出ました。
しかし、税務署職員は何度も電話や書面を送ってきて、「提示がなければ青色申告の承認が取消しになる」と警告します。

それでも帳簿を出さない。
結果として、青色申告の承認は取消しになり、消費税の仕入税額控除も失われました。

経営的には大打撃です。
代表者は激怒して、税理士法人に6600万円以上の損害賠償を請求。

理由は「青色申告が取消しになることを説明してくれなかった」「修正申告した方がいいと助言してくれなかった」というものでした。

「知ってたはずなのに」が通用しない世界

裁判所の判断は、代表者の請求を棄却するものでした。
ただし、判決文からは複雑な事情が読み取れます。

  • 税務署職員が何度も直接、青色申告取消しの不利益について伝えていた
  • 代表者は税務署からの電話や書面で、その不利益を「十分に認識していた」と認定
  • それでも代表者が「自らの意思で帳簿を提示しなかった」と判断
  • 税理士が修正申告を勧めなかったことは「説明義務違反の可能性はあるが」と前置きしながらも、代表者が聞いていれば聞かないような状況だったと推認

つまり、以下のような構図です。

「帳簿を見せたら取消しになる」という事実を、代表者は知っていた。
税務署も何度も警告していた。
それなのに「見せない」という選択をした代表者が悪い、という結論です。

一見すると当たり前のように聞こえますが、ここに一つの危険が潜んでいます。

税理士は「適法な税務調査には応じるべき」と説明する義務がある。しかし説明したかどうかの証拠が、後から問われるリスクがある。

実際、判決文では「被告税理士法人の代表社員は、帳簿書類等を提示しない場合の不利益について説明する義務を負っていたといえる」と明記されています。
つまり、税理士法人が説明義務を果たしたことは、「推認」「供述」レベルの曖昧さで判断されているということです。

調査局面での「記録」が命

このケースから学べる最大のポイントは、記録を残すことの重要性です。

税務調査が入った時、税理士が何をどう説明したのか。
その時点でどんなアドバイスをしたのか。
修正申告の可能性について、どこまで検討したのか。

これらすべてが、後日の訴訟で「言った言わない」の争点になります。

ChatworkやSlack、メールなど、ツール側が記録を自動保存するプラットフォームで、顧問先とやり取りすることの価値はここにあります。
対面で説明しても、後から「そんなことは聞いていない」と言われれば終わりです。

また、税務調査の報告書を顧問先に書面で交付する。
修正申告が必要になった場合、その背景と理由をまとめた書面を渡す。
これらの「証跡」があれば、後から訴えられても防御しやすくなります。

相続税で報酬を請求できるか

Kling ベーシックプラン

ここで一つ注目すべき判断があります。
相続税申告の期限超過事件では、税理士法人が反訴として「既履行分の報酬を払え」と請求していました。

相続税申告書の最終案を作成していたこと。
それが実際に別の税理士が申告した申告書とほぼ同じ内容だったこと。
こうした事実から、裁判所は「委任契約の7割が履行された」と判断し、報酬の7割(270万円)の支払いを認めたのです。

  • 税務書類の作成は「申告書完成時点で約7割」と評価
  • 税務代理業務(税務署への説明や代理)がまだ残っているため「完全ではない」と判断
  • 不動産の大規模修繕工事など、不確定要素があった
  • これらを総合して「7割程度の履行」と算定

これは税理士にとって重要な判断です。
期限に間に合わなかった場合でも、どの段階まで仕事を進めていたかで、報酬請求の根拠になるということです。

逆に言えば、何もしていないのに期限を超過させたなら、報酬請求も難しくなります。
定期的に顧問先に進捗報告書を出す。
「現在、こここまで完成している」という書面を残す。

こうしたプロセスの積み重ねが、後々の紛争回避につながるのです。

税務調査時の対応マニュアル化

Kling ベーシックプラン

青色申告取消し事件では、税理士法人の対応が問題視されていました。
具体的には以下のようなポイントです。

税務署職員が帳簿提示を求めた時、「無預告調査の理由を開示するまでは協力できない」と税理士が答えた。
その後も、税務署からの何度もの問い合わせに対応がなかった。
修正申告の勧奨があった時、それに対する説明や提案がなかった。

タックスソフトやクライアント管理システム(会計freeeなど)で、税務調査の記録を一元管理している事務所もあります。
しかし、調査への「対応方針」を事前に決めておく事務所は、まだ少ないのが現状です。

「税務調査が来たらこう対応する」というマニュアルと、その対応を記録に残すプロセスが必須の時代が来ている。

特に複数の税理士が関わる事務所では、「誰が何を説明したのか」が曖昧になりやすい。
だからこそ、グループウェア(ChatworkやSlackなど)で調査経過を共有し、顧問先への重要な説明はメールで書面化する。

こうした手間は、一見するとムダに見えるかもしれません。
しかし、訴訟になった時の防御力を考えれば、十分な投資価値があります。

よくある質問と回答

Q1:相続税申告の依頼が期限ギリギリの場合、どう対応すべきですか?

Answer
必ず「期限に間に合わない可能性がある」ことと、「期限を超過した場合のペナルティ(無申告加算税や延滞税など)」を、初回面談時に書面で説明してください。裁判所の判例でも、事前の説明があったかどうかが勝敗を分けました。口頭で伝えるだけでなく、説明内容を記した面談記録や、ペナルティに関する説明書を顧問先に交付し、受領印をもらうか、メールで送信して証跡を残すのが鉄則です。特に「それでも最善を尽くします」という合意形成のプロセスを記録に残すことで、後日の損害賠償リスクを大幅に減らすことができます。
Q2:税務調査で帳簿を見せないよう顧問先に助言しても大丈夫ですか?

Answer
極めて危険です。税務調査に対して帳簿書類の提示を拒否し続けると、青色申告の承認が取り消される可能性があります。実際に、税理士が「協力しなくていい」と助言し、その結果青色申告が取り消されて損害賠償請求された事例があります。税理士には「適法な税務調査には応じるべき義務」があります。もし調査手法に疑義がある場合でも、単に拒否するのではなく、税務署と交渉した記録や、顧問先に対して「拒否した場合のリスク」を説明した証拠を必ず残してください。「言った言わない」になると、専門家である税理士側が不利になる傾向があります。
Q3:申告期限を超過してしまった場合、報酬は請求できますか?

Answer
請求できる可能性がありますが、全額は難しいでしょう。判例では、期限に間に合わなかった場合でも、申告書の作成自体が進んでいれば「委任事務の履行割合」に応じて報酬が認められています。ある事例では、最終案に近い申告書を作成していたとして、報酬の約7割の支払いが命じられました。ただし、これはあくまで「仕事をした証拠」がある場合です。進捗状況を定期的に報告し、作成途中のドラフトデータを保存しておくなど、業務遂行のプロセスを可視化しておくことが、万が一の際の報酬確保につながります。
Q4:顧問先が税務調査で嘘をついている気がします。どうすれば?

Answer
税理士法上の「調査の通知義務」や「是正の助言義務」を果たす必要があります。もし顧問先が事実を隠蔽したり仮装したりしている疑いがある場合、そのまま申告に関与すると「脱税ほう助」や「信用失墜行為」として懲戒処分の対象になりかねません。毅然とした態度で「正しい事実に基づかないと申告代理はできない」と伝え、修正申告を勧奨してください。そして重要なのは、その勧奨を行った記録(メールや書面)を残すことです。顧問先との信頼関係を壊したくないという気持ちも分かりますが、不正に加担することは事務所全体の存続に関わるリスクです。
Q5:顧問契約書に免責条項を入れておけば安心ですか?

Answer
免責条項だけでは不十分です。契約書に「期限遅延の責任を負わない」と書いてあっても、消費者契約法や民法の規定により、税理士側に重大な過失がある場合は無効になる可能性があります。今回の相続税申告の判例でも、契約書の内容そのものより、「具体的な場面で十分な説明があったか」という実質的な対応プロセスが重視されました。契約書はあくまでベースであり、個別の事案ごとに丁寧なリスク説明を行い、合意形成を図るという実務運用が伴っていなければ、裁判では身を守る盾にはなり得ません。